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承認欲求を知るに至る
承認欲求。
初めて聞いたときは何だか小難しそうだけど、これ多分自分のことだな、と思いました。
誰かに認められたい、もっともっと私を認めて欲しい。
承認欲求は往々にしてエスカレートするものです。
きっかけはアドラー心理学
承認欲求を知ったきっかけはアドラー心理学でした。
たまたま付けていた深夜のテレビから承認欲求という言葉が飛び込んできました。
岸見一郎先生のHNKでやっていた「100分de名著 アドラー人生の意味の心理学」が私のこころに刺さったのです。
直ぐに著書である「嫌われる勇気」を購読し、
それから程なくして先生の講演に参加できる機会が訪れて。
承認欲求から解き放たれた
「嫌われてもいいんだ。自分に正直に生きていく」
という考え方を知るに至ったのです。
まだ道半ばで、「嫌われてもいい」という生き方とはまだまだ程遠い生き方をしていますが
このとき知った承認欲求という言葉に自分自身が救われた気持ちになったのも事実です。
いつも抱えていたのは認められたいという欲求だった
承認欲求という言葉を知るまではいつも何なんだろう、このモヤモヤとした気持ち。
人にすがりつきたくなるようなこの感情は??と思っていました。
自分はどうして初めての場所や人の前でオロオロするのだろう。
どうして好かれようとしてしまうのだろう?いつも同じことをしてしまう。
それほど関係性が密でない相手にもどんな人にもそれを望んでしまう。
人がこちらのことを大切にしてくれないと不安で仕方がなくなる。
これはいったい何なのだろうか?
と、いつも思っていました。
そしてそれが承認欲求だと知りました。
認められたいんだなと、なるほどなぁと納得することができて少し自分の中のモヤモヤ、ザワザワしていた気持ちが治まりました。
承認欲求について深く考えてみる
ではどうして承認欲求が生まれるのでしょうか。
それは幼少期の体験なのか?
確かにそうです。
幼い頃に共働きだった母親。いつだって側にいないし、とにかく私のことを考えるという余裕はないようでしたし、積極的にこちらに関わってくることもなかったです。
きっと母もそうやって育ってきたのだろと思います。
私が今、子育てをしていても「どうやって子供と遊んだらいいんだろう?」とよく考えるので
遊んでもらった記憶があまりないんですね。
子供の頃に親に認めてもらえず、
あなたはここがダメ、あそこがダメ!全然出来てない!って言われ続けて生きて来たら。
言葉には出さなくても、なかなかやっていることを認めてくれなかったり
そんなことをやって何になるの?あなたに出来る訳がないと
遠回しに否定され続けて生きて来たら。
それが親の心配であっても
一つも認められた意識がないとしたら
大人になってその穴を埋めるために
一生懸命に人に尽くしてしまったり、こびてしまったり、
こびないまでも下手に出て自分の価値を下げながら生きて来たのだとしたら。
そんな人生では自分の道を進んでいくことは到底できないと思います。
そもそもそんなことを感じない人との違いは何か
では、承認欲求など必要と感じずに生きて来た人との違いは何なのだろうかと考えてみました。
・幼少期の人格の認定
親の所有物ではなく「個」一人の人間としてきちんと承認されているかということ。
・自分自身への自信、愛着など
自分を過度に愛しすぎて自信を持ち過ぎてしまうとまた違う弊害を引き起こしてしまいますが、
自分自身を適切に愛して自分の存在を自分自身で大切にできる力があるのかどうか。
・自分を客観視する力
周りが見えているのかどうかも、関係があると思います。
自分のことしか考えられない状態にある場合はどうしても視野が狭くなり多くの承認を得たいともがき苦しんでいる傾向にあるように思います。どれだけ自分をフカンでみられるのか冷静に判断ができるのか。
こうしたことに違いがあるように思います。
幼い頃に形成されてしまったもの、大人になる過程で失ってしまったもの。それは人によって色々なタイプがあるのだと思います。
すべての承認欲求が悪いわけではない
承認欲求というのは誰しも持っている感情だと言われています。
なので、ある程度軽い承認欲求であればそれを糧としてやる気を出したり、承認されたときに喜びに出来て次へのステップのきっかけにしていくこともできます。
問題なのはもっともっとと際限なく人に承認欲求を求めてしまうことです。
承認欲求の落とし穴
承認欲求が強くなり過ぎてしまうと、なりふり構わず人に認められようと翻弄してしまいます。
急に人の態度が不審に思えたり、何度も確認してみたり、認められているという実感がなかなか得られないとその相手を攻撃しだしたりすることもあります。
そんなことをして得られることといえば、”信用の失墜”や”自信喪失”。
それまで何とも思っていなかった人もそんな人間とは関りを持ちたいとは思わなくなり、去っていきますし、強すぎる承認欲求で得られるものは何もありません。
もし、承認欲求を得たい相手が、騙すことが上手な人であればこういう状態の人をカモにしてお金をだまし取られたりされかねません。
それほど周りがまったく見えなくなることもあります。
どうすれば承認欲求を抑えらえるのか
それは自己愛の形成です。
そして自分が自分を認める事。
なかなかそうして生きてこなかった人間にとっては難しいことです。
自分を愛さない生き方は
誰かに依存をしたり、誰かに寄りかかって生きていくことと似ています。
その通りの人もいるし、現に私自身も極度の依存体質であったりします。
自分を愛さない方が楽なんです。
人との摩擦もないし、頑張る必用もありません。
それを超えて、変わりたいと願った自分自身が居たのでこうしてサイトを立ち上げました。
自己愛はまだまだ、楽な方に流されっぱなしですが、自分を少しでも愛して、自分を認めることをやり続けていればいずれこの呪縛から逃れることが出来るだろうと信じています。