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心理学やスピリチュアルとの出会い これまでの歩み⑨

気付いて歩みを進めると出会ったもの

これまで軽いうつ病になりながら。躁鬱を繰り返しながら自分自身と向かい合い、解決の糸口を探りながら自分なりに必死に生きてみました。そうすると多くの気付きや新たな出会いがあったのです。

悩んだ日々

子供のこと。旦那のこと。アスペルガーやカサンドラ。仕事のこと。人間関係のこと。親のこと。友達のこと。
誰にだって悩みはある。ただ少しだけ敏感で、その対処法を知らずに生きて来たから。人よりもたくさんの悩みを抱えてしまっていただけ。

自分の特性や性格、他者との境界線が薄いことや想像力のたくましいこと。そういうことを理解していけば生きやすくなることに気付けたことが今は良かったと思います。

でも、一生懸命だった


そう、自分なりにもがき苦しんできたけれど、そのときそのときで一生懸命だった。ダメダメなこともたくさんしきてきたし、だっさくて、幼稚だと思われるようなこともしてきたし、そういう考えを持っていたこともある。今でも持っているのかもしれない。

だけど、一生懸命そのときの問題に向き合ってときには解決して、ときにはこじれて、ときには逃げて、そうやって学んできた。
その経験はやはり無駄ではないと思えるから。

心理学や発達のことからスピリチュアルなことまで

壁にぶち当たって、もうどうにもならないときに、その時折に出会った心理学であったりスピリチュアルな考え方であったり、そういうことに助けられて自分を奮い立たせてこられたのはありがたいことだなぁと思います。

子供の発達について。自分自身の病気について。ネガティブに捉えようとすればいくらでも捉えらえるし、落ち込もうと思えばいくらでも落ち込むことはできる。

けれど、それを原動力にしてよりよい未来に進んでいこうとするなら、暗い道ばかりではないのじゃないかと思える。

これからもどんどん進んでいきたい


たまには立ち止まることもありけれど、後ろを振り返ってしまうこともあるけれど、ずっと前に今よりもどんどん前に進んでいきたいと思っています。

自分自身の感情、性格、先天的なモノ、環境、そして旦那のこと、子供のこと、全部全部ひっくるめて全て知りたいから
心理士の勉強をしよう。資格を取ろうと、ココロに決めました。

心理士の資格を取るには大学で学ぶ必要があるようです。

今から勉強…私自身、こんな大きな目標や決断をするのは初めてかもしれないので達成できるのかわかりませんが、前に進むために第一歩として、できないという思い込みを自分で超える努力をしてみようと思います。

子供の才能を伸ばすには?

ぐんぐん伸びる記憶力


最近子供の記憶力がぐんぐんとアップしています。
我が子が興味があるのは語学だと発達の先生は言っていましたが、しゃべらずに心配されていた我が子は今ではどこで覚えて来たの?という難しい言葉を操って、大人たちと巧みなやり取りをしています。

興味があるものをとことん

我が家の方針として、興味があるものには男も女も関係なくできることまではとことんでいこうと。

女の子でもパトカーや救急車、消防車が好きであれば、そのおもちゃを持っていてもいいじゃない。おままごとセットももちろんもっているけれど、トミカの立体パーキングでだって遊んでいます。

ドライバーもネジだって釘だって好きならとことんさせる。料理がしたいと言えば包丁はまだ早いので、ナイフを包丁に見立てて食材も切ってもらう。(固いものは危ないので切らせていないですが(^^;)

余計なお世話は焼かない

スパルタというわけでもないのですが、自分で文字が読めるようになれば楽しいよ、覚えたら?と声掛けをしたのち、遊びの延長線上で買ってきたよくある”水で濡らして貼り付けるひらがなのおもちゃ”をお風呂場に貼ってあげたら、ほどなくして「これはなんて読むの?」という質問が続き、あるとき親に聞かなくても平仮名が読めるようになっていました!!

私自身がそうだったのですが、親がこれはこうだ、やんなさい!できなかったらお仕置きだ!なんてやられていたので、楽しく身に着いてくれたらいいな、という思いはありましたが、こんなにすんなりと学んでしまうとはびっくりです。

苦手克服には刺激を少なく?!


言葉に関してはかなり感心をもって関わっているのですが、それに比べて数字はというとそんなにすんなりとは理解ができないらしく、やや苦手としています。

とはいえ年齢的には早いくらいだというので、そんなに急かす必要はないのですが…親の欲目でしょうね。覚えたら素晴らしい!なんて思ってしまうのですよね。

つい言ってしまいがちな「できないんですよ~」

私はつい言葉にしてしまいがちな子供のできないこと。「〇〇ができないんですよーーー!」って、言葉が理解できるようになった子供ならやっぱり親がそんなことを他人に話していたら傷つくだろうなと思うのです。なのでなるべく言わないように心掛けています。

別に弁明することでもないし、出来ないのが悪いわけでもないのに何なのでしょうね、親の見栄ですかね…。

刺激をなくして楽しく

出来ないんだ、解らないんだ、という子供の不安をあおるようなことは言わず、行動にも起こさず、あくまでも楽しく遊びの中に数を取り入れることにしました。

できないことを刺激してばかりいては子供の自信が育たずに、やはり苦手意識が付いてしまうでしょう。とくにうちの子は完璧主義でもあるので、完璧にできるようにならないとやり出さないので、途中でその努力を挫くことはなるだけ避けなければと思っています。

つい、できるできる、やってみなよーーと安易な気持ちでやらせてしまったり、それでまだできないかーーと落ち込んで見せては逆効果ですよね。

数を覚えるためにやっていること

日頃、お風呂に入ったときは数を数えて上がる、とか
お菓子を数えながら分けたり、最近はトランプを買ってきて遊んだりしています。

先生方も数に興味を持ってくれるように、遊んだ後のぬいぐるみの数を一緒に数えたり、遊びの中にたくさんの「数」を取り入れてくれています。

昔の投稿を読むと、自分の望みとか常識とか。囚われていることに気付く件

昔の投稿を読み返すと…

昔の投稿って読み返すとこっぱずかしいこと真面目に書いていたりします。

自分の望みを押し付けている?

恐らくアスペルガー症候群は人の心を察することができないから、少しでもそんなことができるようになれば、私の望みが叶えられればって言ってるんですよね。

それって、でも傲慢なのでは?って自分に突っ込みを入れたくなりました。

そもそも分かろうとしていないのではなく分からないのだから、それを「望み」と言ってそれが「叶えば」って大丈夫なのか私。

確かに人の気持ちを察しない人との生活は大変なんです。

肩透かしみたいに、何でこの場面で適切な反応がないのか?っていつも思います。

昨日も思いました。

寝室でゴホゴホ死にかけるくらい咳して、ゼーゼー息が出来なくて喘息が悪化して

「大丈夫?」

心配する一言。

これ、大事じゃないですか。ほんの一言心配してくれてるって分かるだけでホッとしたりできるのに。

旦那は聞こえてると思うんですよ。でっかい咳だし。私のたうち回っているし。

でも無視。気付かないふり?気付いてないの?マジで?

とか思っていた時、

急に立ち上がって電気つけて

「蚊が飛んでいる」

なんだよオイ!私より蚊なのか。

自分のことしか考えられない。典型パターン発動。

私イライラMax。

でも、もう怒るのは諦めたんです。怒っても仕方ないのはよく分かっている。適切こととかないんです。基本。

適切は私が思っている適切であって旦那の適切ではない。だから適切なんて存在しない。

私の心はいつも置いてけぼりだけど、旦那は置いてけぼりと感じたことがないんでしょう。おそらく。

だからどうやって自分の心を収めるか。これが一番重要ポイント。

とりあえずアルコールティッシュでホコリ取りをしてもう咳が出ないように祈りました。

常識とか書いてて笑った

前々回くらいのブログの記事に子供ができたら旦那が仕事辞めないのが常識で、辞めるのが非常識と書いてました。その頃の自分は一杯一杯だったんですね。受け止めきれない。こんな事態って。

でも、結果オーライで長く前の会社にとどまっていたら旦那がおかしくなっていたかもしれないと思います。どんなことにも常識や非常識って概念はないのだなと最近では感じます。

ここ最近で自分自身がたくさんの気付きがさらに起こったので(特に自分の中の決めつけや思い込みに関して)、それで考え方も大きく変わったのですが、常識は人を制御するためにあるものなんですよね。都合よく操りたいから常識が存在する。

常識から外れると怖い目にみるよ~~~という刷り込みもしっかりと行われているんです。幼少期や反発出来ないメンタルな人に。

この場合、仕事辞めてうちの旦那非常識でしょ~ーーではなく、ただ辞めて来た。これから生活どうしよう。これでいいんですよね。

自分が働きたくないもんだから、旦那を悪者にして責めている自分が恥ずかしくなりました。

短時間でも人って変わって行く

ということで、過去の投稿を自分で見返してみて、あぁ、人ってこんな短い時間の中でも何かを発見したり、感じたりすると変わって行く生き物なんだなと思うことができました。

これなら、自分が仕事を当たり前にして、HSPだから~とか言わずに社会と共存して、自分の能力活かしながら生きていくことも可能なんじゃないの?って気になってきます。

随分、時が経ちましたが施設へ入所したときの事とそれからの事

検査結果を聞きに行ってから早1年6ヶ月

検査結果を聞きに病院に出かけてから早くも1年と6ヶ月が経ってしまいました。詳しく書く時間を見つけられず駆け足のように過ぎ去った1年半を時系列に辿ってみたいと思います。

まずは受給者証を貰いに役所へ

先生から福祉サービスの受給者証の申請のための書類を書いてもらい、それを持って役所へと向かいました。役所で受給者証を作成するのに伴い、どの施設を利用するのかを担当の方と話し合います。我が家の場合は市の発達相談で紹介して頂いた療育施設があったので、そこに行きたいと希望を出しました。

週に1~2回の療育施設を利用し、保育園に通いながら週の何曜日かに施設に通うというスタイルでやって行こうということに決まり、療育施設を紹介してくれるコーディネーターの方と一緒に見学にいくことになったと思います。中には毎日通うことのできる養育施設もありましたが、子供が行くことになったのは親が立ち会って1時間先生とマンツーマンでみっちりと教育を受けるという療育施設です。

施設の見学へ行く

施設へ見学に行った時は子供の手を引いて、ハラハラの親と興味深々の子供という感じだったと思います。親の心配もよそに子供は初めての先生方にも物怖じすることなく施設の遊具で遊んだり先生に絡んで笑ったり走り回ったり、楽しそうでした。

これなら大丈夫かな。

施設の見学を終えて即決でお願いして次の週から保育園に行きながら療育施設に通う生活が始まりました。

初めて施設で受ける授業

”授業”というのかは分かりませんが、(”活動”ですかね)初めて療育教育を受けたときは子供よりも親の方が緊張していたように思います(笑)
子供はちゃんと授業を受けられるのだろうか?とか、先生の言うことを聞かなかったらどうしよう?とか。そんな心配はよそに伸び伸びとしている子供。適応能力高いな~と感心しました。

通い始める

始めの頃は離席が目立ちました。先生の言うことを聞かなかったら遠くから怒ってしまったり。(子供が言っている施設では親はやや離れたところに座って見守ります。)でも子供は興味津々です。

特に体を動かす活動では走り回って、ジャンプして、滑り台やブランコ、トランポリン、色々な遊びができるようになっているので子供はニコニコ元気いっぱいに楽しんでいました。何回か行くともうすでに早く「〇〇に行きたい!」というようになり安堵したことを覚えています。

保育園から療育施設へ移る

保育園ではこれからますます規則が増え、みんなと一緒に行動しなければならなくなる。規律は大切だし、協調性や団体行動を学ぶことは大事だけれど、我が子にはかなり窮屈な思いをさせるかもしれない。保育園に行きたくないと言い出すかもしれない。

そんな一抹の不安がありました。

それに加えて、子供の特性に関して、その当時の担当の先生方はよく見てくれていて、力を注いでくれていたのですが、上級生を受け持つ先生の中には少し白い目で見られているような、そんな何となく気になる出来事があったりしました。

年齢が上がって行くと大変なのでは?子供が苦労するのでは?と思っていた矢先にたまたま療育施設をコーディネートをしてくれた方に会う機会があり、そんな中で、では通いの療育施設に移ってみてはどうかと提案がありました。

それも悪くないのかもしれない。

今までは療育施設に通わせるのは逆に大丈夫なのか?と思っていましたが、先生が多くて、子供が少なくて、たくさん手を掛けてもらえるような場所ならば、子供も伸び伸びと過ごせるのかもしれないと考えが180度変わっている自分にも驚きました。

善は急げと直ぐに手続きをしてもらい、通園型の療育施設へと移ってそれから1年と2ヶ月が経ちます。今はその通園型の施設と週1回の付き添い型の施設とをどちらも利用して楽しく生活しています。

時間が経ってみて

何だかわからずに、悲しかったり悔しかったりした時期は過ぎ去ったので、もうよくそのときの感覚は覚えていないです。今はとにかく起こることにこうしてみよう、ああしてみようと試行錯誤の日々です。

というのも、市の施設で開かれている発達の相談会では近くの心療内科の病院から心理士の先生が来てくださいますが、その先生に何度か相談を重ねていくことで子供はやはりアスペルガー症候群であろうという判断がされたのです。(今はアスペルガーと言わずに高機能自閉症スペクトラム障害というそうです)何となく覚悟は出来ていましたが、あーやっぱりそうかぁと心にズーンと来るものがありました。

しかし、悩んでいても仕方ないし、子供は早くから教育を受ける機会がこうしてあるのだし、通えているのだからいいのかな。と思っています。

我が子が急に出来なくなったこと

音に敏感!

我が子は音にとても敏感です。どんな風に聞こえているのかは本人にしか分かりませんし、まだ幼いのでそれを伝える術がなくいつもに怯えています。

冷蔵庫からする音

冷蔵庫からブーーンと音がするのはシーンとした夜中などに聞くと大人でも一瞬ドキっとしますが、子供にはこの音がどうしても気になるようです。それから製氷機の音。自動で氷が製氷機から落ちるガラガラという音や、水が注がれるときのポコポコ…という音にも敏感です。

特に機械音が苦手なようで、掃除機にもときどき恐怖を感じています。掃除機はかなり大きな音がでますから、仕方がないのかな、とも思いますし、敏感に感じる日とそうでない日とがあり、テレビなどに集中しているときはあまり聞こえていないような感じもします。

外から聞こえてくるさまざまな音

救急車や消防車なんてのは当たり前。私が聞こえないような遥か彼方を走っているであろう救急車のサイレンの音が聞こえるというのもよくあることです。

近くで草刈りをしていて草刈り機の音がブンとなるだけで「なんの音?」とやや怯えて言います。流石に外なのでそんな爆音では聞こえてきませんが、やはり気になるよう。

水の流れる音が怖い

水の流れる音はさらさらと静かに流れるのであれば反応はないですが、細い管を通るときのあのゴロゴロという音や排水溝に吸い込まれるときのズズズッ、ゴロゴロゴロ、ザザザーーーというような大きな音に敏感に反応します。そして怖い言ってと耳を塞ぎます。水が鳴るなんて!というギャップや何とも言えない響き、流されていくという恐怖感が混ざって怖さが増すのかもしれません。

予定変更が苦手

急な予定変更に最近は怒ったり、泣いたりするようになりました。自分の予期せぬことが起きるのは誰だって戸惑うしドキリとするものですが、我が子にとってはかなり重大なことのようです。

行くと言っていたところへ行かない

始めに「ここに今から行くよ」と言ってこちらの都合や何かで行けなくなり、「そこには行かずに違うところに行くよ」と言うとグズリ出します。時には泣いたり、始めに言ったところに行きたい!と言ったりしてなかなか新しい場所に行けなかったりします。

泣くまでには至らない場合も、長い時間ずっと「〇〇へ行く!」と言いて駄々をこねるので切なくなったりもします。もちろんイライラすることも(;^_^A

思っていたことと違うことが起きる

自分で予想していたこととは異なることが起こると激しく感情が高ぶります。自分が楽勝で勝てると思っていたゲーム。いつもやっていること。いつも見ているものが急に違っていると怒ったり、泣いたり、ジタバタしたり。自分で描けると思っていたお絵描きや塗り絵。少しでもはみ出したり、上手く描けないと興奮して怒ったり、泣いたりして人にやってくれと投げやりになります。

トイレに行けなくなる

そうした二つの特性が重なってしまったのがトイレ問題です。

あるときいつもは自動で流れないトイレが自分が座っているとき、なのか立ち上がった瞬間、なのかは分かりませんが急に流れたのだそうです。後で聞くとそのトイレは水を流す機能を自動と手動に切り替えられるトイレだったのだそう。たまたま前回使った人が自動に切り替えていたのでしょう。

「トイレがね勝手に流れて怖かったのよ」とその夜子供は私に話していましたが、そうなんだ、くらいにしか思っていなかったのです。

すると翌日に先生に呼び止められて、子供がトイレに行きたがらなくなったと聞かされて、怖い怖いといってトイレで用が足せなくなったというのです。トイレが勝手に流れるのは我が子にとってはかなり衝撃的なことだったんだなとようやく認識しました。

それからおまるを使う日々が続き、外ではトイレに行けないのですぐに帰ってこなければいけないし、無理やり座らせたりもしてみましたが泣いて抵抗してもうお手上げ状態でした。

園ではもうすぐ遠足に行く。トイレに行かれないのでは体のことを考えて厳しいと先生方も言っていました。

これはいけないと、何度も子供に言い聞かせたり、和式を体験させたり、音をカットしてくれるヘッドホンを購入したり色々と手を尽くしてみました。子供なりのルールもあるので、なかなか「怖い」という感情を乗り越えさせるのは上手くいきませんでした。

結果的にお友達は凄い!

子供同士の関係性というのはやはり凄いなと思いました。

というのも、あれほど嫌がっていたトイレですが、(先生がおまるを隠して覚悟を決めさせたという陰ながらの努力もありますが)怖い怖いと言いながらもお友達が平気でしているのを見て、だと思うのですが、自分もするとすんなりと受け入れたそうです。

それを聞いたときには、あの「トイレ絶対行かない!!」という抵抗の日々は何だったのだろうか(笑)と思いますが、行けるようになってくれることが何よりも嬉しかったので良しとします。

嫌いな食べ物もお友達が食べているのをみて食べたりしますもんね。

グッジョブお友達!と思った筆者です。

自己肯定感を高める作業 これまでの歩み⑧

失った自尊心・自己肯定感

子供の頃に機能不全の家庭に育ったインナーチャイルドを抱える人は自尊心がなかったり自己肯定感が低かったりします。どうしてそれらを失ってしまったのか。失ってしまうとどういうことが起きるのか。自尊心や自己肯定感を高めるにはどうしたらよいのかを考えていきます。

幼少期の経験


私はある時期親が大嫌いでしたし、親に育てられたなぁ、ありがたいなぁと本心で思うことがないです。(形だけはありがとう!とかいったりできますが…)
確かに楽しかった瞬間はありますし、家族でカードゲームをしたり人生ゲームをしたなぁ、あのときは楽しかったなと思うこともなくはないです。なので物凄く放ったらかしにされて育ったわけでもありません。

ただ幼い頃、母親は病弱で入院をして親戚に預けられていた期間があり、父親は子供の面倒を見ず自分のしたいことだけをする軽いネグレスト気味な人だったので私はどこに感情を吐き出していいかがわからず、大人に気に入られなければならないと思いながら育ったのだろうと思います。

親は共働きで、特に母親は昼も夜も働かなければ家族が生きていけなかったので、子供たちが起きてる間は家にいない状態というのもありました。一生懸命働いてくれたんだろうな。大人になれば働くってことがどれだけ大変かが分かってくるので、それはそれで感謝もしています。

しかし、子供と全くコミュニケーションが取れていなかったり、会う機会の少ない子供にいつも辛く当たっている。仕事で疲れていることを私たちにぶつけている?というような状態は私たちのために働いてくれている親を子供が逆恨みするという悪循環を生み出します。

だったら貧乏でも温かく優しい親の元で育てられた方が幸せなんじゃないかと思ってしまいます。私たち子供が大人になってから母親もそんなことを口にした日もありました。寂しいときに側にいてくれる。それだけでも子供は自分はここに居ていいんだと安心したり、自己肯定感を養ったりできるものなのではないかな。私はそう思います。子供の頃、いつも親が側にいなかったから。

大人になって困ること


自尊心がなく自己肯定感が薄い人は大人になってから、特に社会に出て働いたり人間関係を構築して上でさまざまな問題が起こってきます。その中でもよくある大人になってから困ることを書き出してみたいと思います。

・人の言うことは間違いがないと思っている。もしくは思い込んでしまっている。
・自分で考えずに他人を信じる。信じたいという心境がある。
・嫌なことも「イヤ」と言えない。
・過剰に人に合わせてしまう。
・他人の嫌がらせや悪口にも文句を言えない。言い返せない。その通りだと思って落ち込む。
・自信がなく新しいことができない。極度に新しい環境を恐れる。
・突発的にキレる。怒りの調整ができない。怒ると爆発する。
・自分が愛されていると思えないので、些細なことで他人が私を嫌っていると思い込む。
・親しい人間関係が築けない。いつも依存するか拒絶するかになる。
・自分を低く見せて気に入られようとする。
・自分を労わることができず追い込むことばかりしてしまう。
・いつも自分を責めている。
・できないと思い込んでいる。
・自分の感情よりもどちらが得をするのかを基準にしてしまう。
・自分にいつも嘘をついているので、人に間違った捉え方をされるし望まないことに巻き込まれがち。
などなど…

自尊心や自己肯定感が低いと自分の人生を歩んでいるという感覚が薄く、いつも他人の評価を気にして、出来ない自分を責め、身動きが取れなくなっている状態の人が多くいます。そういう人は他人から責められることによってうつ病を発症したり、自信のなさや自分の存在感のなさから自傷行為に及んだりすることも少なくありません。

自己肯定感を高めるには


本来の自分を取り戻すために、自己肯定感を高めたい。こんな自分ではもういたくない。そうは思っていてもどうやって高めていけばいいのかわかりません。つい何年か前まで、私もそう思いながら辛いな、辛いなと言っていました。自己肯定感を低くしているのは自分の中の思い込みが一番強いのだろうと私は考えています。だって今は親からも離れ、生活もできているし、結婚もして、子供も生まれた。世間一般からすれば幸せな状態にあるような状態にいます。でも自分は辛い。自信がないと言い続けます。

それを止めるにはどうしたら良いのか。
本来の自分、自信のある自分。自分を信じられる自分になれば、これらの悩みはスッと波が引いたようになくなるのではないかと思います。

では、本来の自分に戻って、自信を取り戻し、自分を信じられるようになるにはどうしたらよいのか。今、私自身が実践していることや見聞きした方法を書き出してみようと思います。

小さな目標を次々とクリアしていく

日々の生活の中で、小さな目標でよいのでそれを一つずつ確実にクリアしていくことで自分の自信を積み上げていく方法です。できないという思い込みをできるという潜在意識に書き換える作業です。

潜在意識の中にこれまで培った「私はできない」という思い込みはかなり強力なものです。それを崩していくにはいきなり大きな目標を持ってイチかバチか達成させる効果を狙うよりも、確実に「できる!」を積み重ねた方が思い込みの壁を打ち砕くのには有効だと思います。万が一自分の目標が達成されなかった場合、「ほらね、できないでしょ」と自分を納得させてしまう可能性があるのも理由の一つです。

道のりは遠いように思えますが、これが一番の近道だったりもします。やる癖が付けば、次第に目標のために動くことが苦にならなくなるのも不思議です。今まで外に出るのも嫌だったのに、「これを達成しよう!」という理由があれば外に出ていくことが比較的、楽に行えるようにもなったのです。

アファメーション

アファメーションとは短い言葉を発して、マイナスな潜在意識をプラスに変える脳への働きかけのことです。
アファメーションで大切なのはこうなりたい!という予想ではなく、自分が今まさにそういう状態にあるということを言葉に出して言うことです。

人に愛されたい場合は
・私は人に愛されたいです

というのではなく、
・私は人に愛されています

とすでにそうなっている状況を発することで、愛されている状態を引き寄せます。

愛されたいと言ってはいけない理由は愛されたいとずっと思い続けている状態を引き寄せてしまうので、愛されるのではなく、永遠に愛されたい状態を継続してしまうからです。

こんな簡単なことで変わるわけがないと思うかもしれませんが、「私は誰からも愛されています」と言い続けていると、あーこれいつもの嫌われるパターンだ~と思ったことも顔を合わせるとぜんぜん怒っていなかったり、むしろ大切にされたり、あなたに癒されると言われたり、不思議なことがたくさん起こりました。

ドキドキする不安な心はそう簡単には無くならないけれど、あれ?いつもと違うな、好かれているのかな?私、と思う場面が増えてきたのも事実です。

最近はよりしゃべる言葉に近いような言葉で自分に話しかけます。

・最近好かれとんよね~私
のような言い方です。話し言葉である口語と書き言葉である文語の感じ方はやはり全く違います。特に方言のまま言ってみると真実味が増して、自分でも妙に納得できるんです。私は愛されています。と小説の一文みたいな言い方だと「えー嘘だよね~」ってどこか疑ってしまうのでこの言い方に最近は変えています。

自分の長所と短所を書き出す


自分のことを知る上でも長所と短所の書き出しは効果的です。文字におこして自分の目で見て、あーこういうところが私にはあるなと確認ができれば自分を受け入れる作業も楽に行えるようになります。

ダメだと思っている短所は自分でダメだと決めつけていることが多く、それは幼い頃にそう言い聞かされてきたからかもしれません。私はオトナシイ子、そう言われて育ちました。実際の自分はおとなしくありません。活発ではないだけで、心の中はいつも嵐です。おっとりなんてしていません。激しい怒りの感情や喜びの感情をどう表現していいのかを知らないだけでした。

だから、おとなしくてもいいし、おとなしくなくてもいいし、どちらでもいいんだ。そう自分に言ってあげます。
人の言ったことをその通り実践しなければならないから、私はおとなしくてダメな子、そう今までは潜在意識が決めつけていました。

そこから解放されるのです。

自分の良い部分を毎日褒める

上記の「自分の長所と短所を書き出す」が済んだらこれをやるとより自分の中で決めつけた短所から解放されます。それは短所を裏返せば長所だし、長所を裏返せば短所になりうるからです。どちらの自分もあってOK。それが自分を作り上げている要素だから。そう思えたら最高です。

そうした観点から考えて、人からの承認を得なくても、自分自身が自分のことを肯定して良いと言ってあげていれば、自己肯定感はおのずと高まっていきます。

「うそでしょ、そう思っていない自分が自分に言っても意味ないんじゃない?」と思うかもしれませんが、毎日目に見えるように書き出したり、声に出したりしていると脳はそのことを潜在意識の中に刷り込んでいくので、自分の思いとは別に「自分は素晴らしい!」と無意識に思うようになってくるのです。

人からしてもらったことを書き出す

自分はしてもらえないのが当然だと思いながら、やってもらえないことを恨んだり悲しんだりしていることが自己肯定感をますます下げてしまいます。してもらえなかったことにフューチャーするのではなく、やってもらったこと、それにより嬉しかったこと、感謝をしていることなどを紙に書き出してみましょう。書き出すことで自分もたくさんのことを人にしてもらっているんだなということに気付くことができます。

他人の態度にムカついて私は大切にされていない!と私もしょっちゅう思ってしまいます。特に家族となると一緒にいる時間も多く、遠慮がなくなるのでより強い憤りを感じたりもします。そんなとき、紙に家族、例えば旦那がしてくれたことを書き出してみるのです。
・いつもゴミ出ししてくれる
・お風呂の掃除をしてくれる
・子供を遊びに連れて行ってくれる
・旅行の計画を立ててくれる

忘れているだけでたくさんのことをしてくれている旦那に気付けました。
あまりにも書き出すことがない!という場合は結婚生活を見直すという解決法も必要になるかもしれませんが、自分がしてもらえない!と思った時には一度冷静になってしてもらったことを数えてみると案外たくさんのことを与えて貰っていることに驚きます。

カウンセリングを受ける

これまで色々な方法を書いてきましたが、自分ではどうしようもないというときもあります。私自身も自分を責め過ぎて抜け出せないほどどん底を味わっていたとき、藁をも掴む思いで電話カウンセリングを受けたことを思い出します。

専門の先生にカウンセリングを受けることは私にとって吉でした。個人でされている先生のカウンセリングは金額が高めなので躊躇してしまいますが、人からワークやセッションを受けるのと、本やブログを読んで勉強するのとでは全く違う効果があります。心が解放されるような感覚を今でも覚えています。これ以上は抱えきれないとなったときには思い切ってカウンセリングを受けてみるのもいいかもしれませんね。

保険適用の病院でのカウンセリングや市町村などで行われている無料カウンセリングを利用するのもおすすめです。人に話して理解をしてもらい同意してもらうということも自己肯定感を高めるのに効果的だと思います。

瞑想をする

私自身は瞑想に対する知識がそれほどないので、瞑想とは自分の呼吸に意識を向けて、周りのことから自分のことに意識を変える作業と認識しています。色々なやり方やマインドフルネス、瞑想、座禅などとさまざまな考え方がありますが、難しく考えずに、まず自分を貶めるような考えや思考を止めてフラットな状態に戻るときに用いるものと思い実践してみるのが良いのではないかと思います。

関西の産業医をされている精神科の井上先生が詳しいやり方やなぜ呼吸法が用いられるのかについて書かれています。
井上先生のブログ「たたかう産業医!」はこちらからどうぞ↓↓
『マインドフルネスは、なぜ”呼吸法”に注目したのか?』

簡単に書き出すと
・10秒以上かけて呼吸をする
・呼吸をするときは吸うよりも吐くことに集中する
・吐くときは息を全力で吐ききる
・これを5分以上続ける

となります。

とても分かりやすく、取り組みやすいので瞑想初心者の方におすすめしたいです。かく言う筆者も初心者も初心者なので先生のブログを見ながらココロが乱れたときは呼吸を整えています。

アロマを活用する

今私が最終的に辿り着いたのがアロマオイルです。香りというのは心の癒しにとても効果的に働いてくれます。私自身は最近ヤングリビングのアロマオイルに出会い、小さい頃のトラウマや自分の中の思い込みと向き合って新たな一歩と踏み出そうと日々奮闘しています。

アロマの香りを嗅ぐだけで気持ちのリセットができ、辛い思いから抜け出す手助けをしてくれるような、香りにはそんな力が秘められています。世には数多のアロマオイルが存在しますが、不純物を含まない天然のオイルが効果的だろうと思います。植物の力は人間の心に深く働きかけてくれているような気がするのです。

好みもありますし、スピリチュアルなことは苦手!という方は深く考えず、好きなアロマを焚いてその匂いを嗅いでいるだけでも心が落ち着くのではないでしょうか。

まずはやってみるが一番の近道


怪しいよな、こんなので効果があるの?と思うこともあるかもしれません。自分のことを書き出したり、肯定的に自分のことを言うなんて恥ずかしくてムリ!とか、自分と向き合いたくないと思うのも仕方がありません。だってずっと自分はダメな奴と思い込んで生きて来たのだから。

しかし、どこかでこの壁をぶち破りたいのであれば、まずはやってみることです。

恥ずかしくても誰もみていなところでやればいいんです。根拠のない自信が湧いてきたらそれが自己肯定感です。
私自身はインナーチャイルドに加えてHSPの人の感情に振り回されるという体質を持っているので、まだ湧いて来たりしぼんでしまったりを繰り返していますが、明らかに何かが変わってきていると感じているのでこれからも続けていきたいと思います!

親離れできていない自分を省みる これまでの歩み⑦

自分と親との関係性

「アダルトチルドレン」や「インナーチャイルド」と呼ばれる人たちがいます。

親の存在、特に母親との関わり合いは子供にとって大変に大きな影響をもたらすと私自身が体験してきたことを思い出してもそう思います。
なんだ、親のせいにして逃げるのか!という人はおそらくいい親に育てられた人たちでしょう。

健全に育たなかった自尊心や自分に対する自信。価値。これらを奪い去るのは他ならない母親だと私は感じています。
では、そのように育ったからもう何も打つ手はないのか?というとそうではないとも思います。私たちは大人になったのだから、自分の力でそれを乗り越えることができる。そうも思うのです。

アダルトチルドレンとは

家庭内でのトラウマで心に傷を抱えたまま大人になってしまった人のことを言います。機能不全の家庭で育つと親に気に入られなければ生きていけなという思いが強くなり、大人になっても自分の意思ではなく、気に入られるための行動を取ってしまい自分自身を苦しめてしまいます。

インナーチャイルドとは

子供の頃、なんらかの影響でありのままの自分で生きられなかった人の感情を子供時代の自分自身に投影した偶像、イメージのことを言います。子供のころに親の愛情をたっぷり受けてのびのびとやりたい事をやり、考えた通りの行動をして過ごした子供のイメージをワンダーチャイルドと呼び、逆に自分の感情を押し殺して親の顔色を伺いながら親の望むように行動していた子供のことをインナーチャイルドと呼ぶのです。

アダルトチルドレンと呼ばれる人の子供時代の偶像はインナーチャイルドであり、自分の感情や思ったこと、やりたい事を押さえ込んで成長してしまうため、たとえ親から離れて暮らしていても自分を信じられなかったり、自分の行動に自信が持てなかったり、社会に出てからの人間関係の問題を多く抱え、生きづらさを感じながら生きていくことになります。

どうして自尊心や自信が育たない子供になるのか


毒親という言葉をよく耳にするようになりました。アルコール依存症や虐待をする親。育児を放棄し自分のことしか考えられないネグレスト。私自身はそれほど毒があるというほど強烈な親に育てられたわけではありません。ですからもし、もっとひどい親に育てられていたなら…心の傷を癒すのにかなりの時間を要しただろうなと思います。

しかし、暴力を振るわれたり、ネグレストをされたり、そんな強烈な体験だけが子供の心を狂わすわけではありません。目に見えない言葉や態度での暴力もあります。

長い間、自分が自立して稼ぐなり嫁ぐなりして親元を離れるまでの親に世話になっている期間に、永遠と繰り返された母親の言動は子供の将来を大きく変えることになります。

子供を認めない親

子供が頑張ってしていることや、努力を全く認めずに「そんなことをして何になるの?」「もっと実のあることをしなさい」「あなたに出来る訳がない」と常に子供を否定し続ける親は子供の自尊心や自己肯定感を損なわせます。子供はやがて自信を無くし、私は何をやっても認められないと思うようになり、どうしても承認欲求の塊のような人格を形成しがちです。

子供に依存・支配する親

子供のことを責めたり貶し(けなし)たりして自尊心を挫き、私が居ないと生きていけないでしょうと共依存を強要し、やってあげる親と反発したくてもできない子供の図が出来上がます。いつしか子供を支配し自分の言いなりにして振り回してしまう親は、子供にはキツイことを言うのに「私はあなたがいないと生きていけない」というような弱々しい一面を子供に見せることで、離れようとする子供に罪悪感を抱かせて大人になっても支配をし続けたりもします。

そうすると、子供は自分を責め続ける人格になります。抜け出せないジレンマで自分自身を失う人もいます。自分が何を考えて、何に喜びを覚えて何に悔しがり、悲しむのか。そういうことすら親に奪われてしまうと自分という殻を着た何物でもない自分に怯えて過ごす、もしくは自分自身への愛着が度を越えてしまう愛着障害を引き起こしたりしてしまいます。

親の無自覚


親にはそのつもりがないという場合もあります。心配だった、躾だったという自分の思いを尊重した子育て。
そもそも親は自分の親にされたことしか出来ないという法則があります。
子育ては他の人のやることを見ながらするということができないので、自分の独学でのやり方をするのが普通だし、子育てとはそういうものであったりします。

しかし、自分のことを大切に考えてくれない親に育てられた人はその育て方しか知りません。自分が辛くて、そのことについて調べたり勉強したりして、自分は子供に同じ思いをさせたくないと気付いた親であれば、自分が子育てをしていく中でどう子供と接することがいいのかを考えながら接するでしょうが、特に何も考えずに苦しみながらも同じことを繰り返してしまう親も多いことと思います。

私自身もそういう鎖の中にいます。
親は子供の事よりも自分の承認余裕のために動くことの方が圧倒的に上回っていました。うわべではあなたのためにと言っていましたが、それよくよく考えてみて、自分のためだよね?という事柄が非常に多かったです。あなたのためにお金を稼いできているのだから、私をいたわるのが当然でしょう。洗濯や洗い物、ほとんどの家事は子供がするものだと良いように自分の中で置き換えて変換して、やっていないと怒られました。(理不尽な気持ちでしたがやらなければ怒られるものだと認識した私は「やってあげている」というところまで気持ちを持ってきて抵抗していました。)

だから私はなるべく家事は自分でしようと思っているのです。しかし、どうしても自分のことばかりをしてしまいます。子供よりも自分が認められることを選んでしまう自分がいます。家事は二の次になります。家事をして家族が過ごしやすいように環境を整えるということを知らないからです。家事ってやらされる嫌な事なんですよね。だからやりたくないになる。

また、親がやっていたことと同じことをやってしまっている自分もいます。子供のためと言い、好きな縫い物で子供の服を縫ってあげる。これって自分の楽しみのため、だよね。

これから生きていくうえで


インナーチャイルドを抱えたまま大人になってもそれを手放せずに自分を信じられず、日々の生活に困っている人はこの国にはたくさんいるのではないでしょうか。

だからって母親を責めてないで…

親とは違う人格を生きるんだという強い望み。これが必要だと思います。
辛い経験をした。なのに親から離れられないのもインナーチャイルドであったりします。それはインナーチャイルド特有の共依存にあるからです。支配する親と、支配されているということを逆手にとってその親を支配しようとする子供の終わりのない戦いにも関係します。

親を頼って生きない。親を恨みながら生きない。

母親ばかり責めて、だから私ってこんなんなんだわ!と開き直って生きていてもどうにもなりません。子供を育てるという機会がやってきたのなら、親の辛さを想像して、噛みしめて、「あーお母さんも大変だったんだね」「悩んで結果的にああいうことになってしまったけれど、私はあんな風に生きなくても生きていけるんだ」と強く自分に言い聞かせることが永遠と続いていく鎖の威力を弱めることに繋がっていくのだと思います。

認めて、許して、一歩前に

どんなに気を付けていても、ふとした時に「あっ私、親と同じことを子供にしている!」と気付くことはたくさんあります。そんな自分を責めずに生きようと思っています。この呪縛のような鎖はすぐには解けないのです。ほんの少しでも子供に辛い思いをさせたくないと思う気持ちが一番大事です。私は気付いたのだから、これから代々子供達にはこういう思いをさせないと思えばいいのだろうと思います。

ことさらに子供にやってしまうことについて自分を責めない。あー私がそういう風に育ったから仕方ないんだね、それ以外を知らないんだね私、と認めて、自分を許し、こうするよりもこうした方がいいんじゃないかということを一つずつ子供にしてあげる。構ってあげる。自分のために子供の自信を削ぐようなことを言ったり、したりしない。子供を信じる。

難しいことだけれど、一歩ずつできたらいいですね。

情けない自分を受け入れるという作業 これまでの歩み⑥

心を病んでしまった人がやらなければいけない課題

一番辛い作業であり、やらなければこれからの人生が変わって行かないということが
「情けない自分を受け入れる」という作業です。

こんな私なんて最低だよねーーー!
なんてごまかしも通用しません。

だって、そんな風に自分を捉えて妥協して今まで生きて来たんだから。
それを変えるなんてまず無理だし
ダメな自分を受け入れるということは
やらなければいけないことがたくさん増えていくということにも繋がるから。
それが感覚的に分かっているので
心を病んだ人は自分を受け入れるということを避けて生活をしています。

心(ココロ)が傷つくのは自分の考え方のせい

羽根

ダメな自分であった方が実は心地いい。
そんな馬鹿な事があるわけがないと思うでしょうが、実体験しているのでこれは明らかにそうです。

ダメな自分であれば、それ以上成長しなくて済むし、失敗した時にほらね、だからダメだったでしょ、で終われるから。
そういう考え方でいると責任をつい他人任せにしてしまうので嫌われたり、ダメな奴だと思われやすくなります。
そうして傷つくのは結局自分なのに、気付かずに人ばかりを恨んで過ごしてしまいがちです。

人のことを恨めない人はそこでさらに自己嫌悪に陥り悪循環が始まってしまいます。

子供の頃に母親に認めてもらえなかった人は特に自分を軽視する傾向にあり、さらにHSPの気質を持っていると自分が悪いと思う感覚が強く加わるのでこの自己嫌悪を長くこじらせてしまうようにも思います。

もういいんだよ。自分のココロ

こんな悪循環はもう終わらせましょう。

ねぇ私。もうやめにしない?
自分なんかって思うのもう止めよう。

自分なりに一生懸命生きて来たでしょう?
だから、もう自分を許してあげよう。

これからだって大変なことが待ち受けてるかもしれないけれど。
もっと何かをやらなくてはいけなくても、何でもやってみればできる。
ダメだったらまた次の扉を開いてみればいい。
だから不安ばかり自分に与えないで自分を好きになってみよう。

自分を許すとはどうすることか

花
とは言っても長年続けてきた思考を止めて自分を大事にする、許すなんてどうやってするんだろうと私なんかは今でも時々頭がパニックになります。

アドラー心理学ではそうして生きて来た思考を変えるにはその2、3倍の年月がかかると言います。それじゃ今世では変われないかもしれないな私(笑)それくらい、自分の続けて来た思考を止めて新たな考え方を自分の中に根付かせるのは根気のいる作業だと思います。
やったことがないから、予想も付かないし。
変わることが怖い、とか、変わらないで!と、潜在意識が訴えかけてくるかもしれません。

どうやったら思考を変えられるのか。
自分なりに考えてみました。

自分の思考を変えて自分を許すには

どう実践したかを少しお話しします。悩んでいる方の参考になれば幸いです。

恥ずかしいけれど心に響く方法

まずは言葉に出して言ってみます。

「もういいよ」

「もう悩まなくていい」

「よく頑張ったな自分」

「それでいいよ」

「別に私は悪くないよ」

そういう言葉を自分に対してかけてあげること。

バカバカしいように感じたり、自分で自分にそんな言葉を言うなんて!って恥ずかしがったりしてしまいがちですが、そこをグッと飲み込んでとにかく自分に聞こえるように言ってみる。

これは即効性はないですが、じんわりと自分を癒しているように思います。

刺激や行動・運動

過去、まったく辛い思いや自己嫌悪から抜け出せなかった時期は、ただただ布団の中で「胃が痛いー!」だの、「眠れないー!」だのやって過ごしていましたが(復活に2週間ほどかかっていました。仕事場でそうなった場合は仕事を辞めてから寝込むパターンが常でした。)

最近は気付きがあって症状が軽くなってきたので、グルグル回るマイナス思考、自己嫌悪に対して自分の頬っぺたを両手でパンパンと叩くとか、直ぐに動き出す。お風呂掃除を始める。料理を始める。だのをきつくてもやるだけやってみる。動き始めるだけですが考えが薄れてきているのに気付きます。

言葉に違いが見られる

そうして自分を許していくと、普段投げかけられて怒る様な自分に対する批判に対しても「そうなんですよ」と言えたりします。そんな自分ですが何か問題がありますか?っていう感じで開き直るというか、あなたから見てもそうだよね、と二人で納得するというか何と言いますか。
そうしたら相手も、あ~分かってんだ、となります。
優しい人だとこうすればいいよとアドバイスをくれたりもします。
自分のそのときの気持ちはというと、
「言い当てられて恥ずかしい!」
「悔しい!」
「知られたくなかった!」
「そんなこと言わなくてもいいじゃない!」

がなくなりました。
無駄に悩むことが少なくなります。

そうしているとふと何も考えらえなくなった

そうやって自分に言い聞かせながら過ごしているこの頃なのですが、なぜだか今、どうしてこんな気持ちになるのか分かりませんがかなり無気力のやる気がない状態です。眠たいし、けれど眠れないし。

変わりたい自分と変わりたくない自分との葛藤が起こっているのでしょうか?

心がココにない感じがします。
ふわふわとしてしまっているような感覚です。

自分を許すことを続けるとどうなるのか?
変化が見られたらまたこのことの続きを書きたいと考えています。

承認欲求が自分をダメにする これまでの歩み⑤

承認欲求を知るに至る

承認欲求。
初めて聞いたときは何だか小難しそうだけど、これ多分自分のことだな、と思いました。
誰かに認められたい、もっともっと私を認めて欲しい。
承認欲求は往々にしてエスカレートするものです。

きっかけはアドラー心理学

承認欲求を知ったきっかけはアドラー心理学でした。
たまたま付けていた深夜のテレビから承認欲求という言葉が飛び込んできました。
岸見一郎先生のHNKでやっていた「100分de名著 アドラー人生の意味の心理学」が私のこころに刺さったのです。
直ぐに著書である「嫌われる勇気」を購読し、
それから程なくして先生の講演に参加できる機会が訪れて。
承認欲求から解き放たれた
「嫌われてもいいんだ。自分に正直に生きていく」
という考え方を知るに至ったのです。

まだ道半ばで、「嫌われてもいい」という生き方とはまだまだ程遠い生き方をしていますが
このとき知った承認欲求という言葉に自分自身が救われた気持ちになったのも事実です。

いつも抱えていたのは認められたいという欲求だった


承認欲求という言葉を知るまではいつも何なんだろう、このモヤモヤとした気持ち。
人にすがりつきたくなるようなこの感情は??と思っていました。

自分はどうして初めての場所や人の前でオロオロするのだろう。
どうして好かれようとしてしまうのだろう?いつも同じことをしてしまう。
それほど関係性が密でない相手にもどんな人にもそれを望んでしまう。
人がこちらのことを大切にしてくれないと不安で仕方がなくなる。
これはいったい何なのだろうか?
と、いつも思っていました。

そしてそれが承認欲求だと知りました。
認められたいんだなと、なるほどなぁと納得することができて少し自分の中のモヤモヤ、ザワザワしていた気持ちが治まりました。

承認欲求について深く考えてみる

ではどうして承認欲求が生まれるのでしょうか。

それは幼少期の体験なのか?
確かにそうです。
幼い頃に共働きだった母親。いつだって側にいないし、とにかく私のことを考えるという余裕はないようでしたし、積極的にこちらに関わってくることもなかったです。
きっと母もそうやって育ってきたのだろと思います。
私が今、子育てをしていても「どうやって子供と遊んだらいいんだろう?」とよく考えるので
遊んでもらった記憶があまりないんですね。

子供の頃に親に認めてもらえず、
あなたはここがダメ、あそこがダメ!全然出来てない!って言われ続けて生きて来たら。
言葉には出さなくても、なかなかやっていることを認めてくれなかったり
そんなことをやって何になるの?あなたに出来る訳がないと
遠回しに否定され続けて生きて来たら。
それが親の心配であっても
一つも認められた意識がないとしたら

大人になってその穴を埋めるために
一生懸命に人に尽くしてしまったり、こびてしまったり、
こびないまでも下手に出て自分の価値を下げながら生きて来たのだとしたら。
そんな人生では自分の道を進んでいくことは到底できないと思います。

そもそもそんなことを感じない人との違いは何か

では、承認欲求など必要と感じずに生きて来た人との違いは何なのだろうかと考えてみました。

・幼少期の人格の認定
親の所有物ではなく「個」一人の人間としてきちんと承認されているかということ。

・自分自身への自信、愛着など
自分を過度に愛しすぎて自信を持ち過ぎてしまうとまた違う弊害を引き起こしてしまいますが、
自分自身を適切に愛して自分の存在を自分自身で大切にできる力があるのかどうか。

・自分を客観視する力
周りが見えているのかどうかも、関係があると思います。
自分のことしか考えられない状態にある場合はどうしても視野が狭くなり多くの承認を得たいともがき苦しんでいる傾向にあるように思います。どれだけ自分をフカンでみられるのか冷静に判断ができるのか。

こうしたことに違いがあるように思います。
幼い頃に形成されてしまったもの、大人になる過程で失ってしまったもの。それは人によって色々なタイプがあるのだと思います。

すべての承認欲求が悪いわけではない

承認欲求というのは誰しも持っている感情だと言われています。
なので、ある程度軽い承認欲求であればそれを糧としてやる気を出したり、承認されたときに喜びに出来て次へのステップのきっかけにしていくこともできます。

問題なのはもっともっとと際限なく人に承認欲求を求めてしまうことです。

承認欲求の落とし穴

承認欲求が強くなり過ぎてしまうと、なりふり構わず人に認められようと翻弄してしまいます。
急に人の態度が不審に思えたり、何度も確認してみたり、認められているという実感がなかなか得られないとその相手を攻撃しだしたりすることもあります。

そんなことをして得られることといえば、”信用の失墜”や”自信喪失”。
それまで何とも思っていなかった人もそんな人間とは関りを持ちたいとは思わなくなり、去っていきますし、強すぎる承認欲求で得られるものは何もありません。

もし、承認欲求を得たい相手が、騙すことが上手な人であればこういう状態の人をカモにしてお金をだまし取られたりされかねません。
それほど周りがまったく見えなくなることもあります。

どうすれば承認欲求を抑えらえるのか


それは自己愛の形成です。
そして自分が自分を認める事。

なかなかそうして生きてこなかった人間にとっては難しいことです。
自分を愛さない生き方は
誰かに依存をしたり、誰かに寄りかかって生きていくことと似ています。
その通りの人もいるし、現に私自身も極度の依存体質であったりします。

自分を愛さない方が楽なんです。
人との摩擦もないし、頑張る必用もありません。

それを超えて、変わりたいと願った自分自身が居たのでこうしてサイトを立ち上げました。
自己愛はまだまだ、楽な方に流されっぱなしですが、自分を少しでも愛して、自分を認めることをやり続けていればいずれこの呪縛から逃れることが出来るだろうと信じています。